忍者ブログ
アサドリの日記帳です。主にロックマンと日常。
2025/04/17  [PR]



×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 >>  ×




昨今だいぶ話題になってるイジメについて。
僭越ですが、今書かないと書けない気がするので。

   * * *

一ト月ばかし前の小中学生への意識アンケートで
「いじめが悪いことだという認識が低い」てな結果がでたそうで。
「いじめも個性だ」という珍説吐いた子供もいたとか。
大問題です。

連中が本気で答えてるとすればね。

いえ、
こういう子供がらみの事件で
メディアだの偉い人だの、大人が右往左往してると
子供って察知するんですよね。
教育基本法改正とか懲罰とか心の教育とか、
喧しいわりに全然対応し切れてないのが見え見え。
で、子供は足元見ちゃう。馬鹿じゃないですから。
で、反発してああいう過激な答えも出てくる。

いじめに対してほんとに抵抗がない子は、もっと少ないと思うんですね。
でも、やっぱり上から見下ろすような聞き方されたり
上の世代から自分たち丸ごと問題アリみたいな言い方されたりしたら
そりゃ素直にアンケート書く気になんかなれない。
右往左往してヒートアップしてる大人にそんなこと言われるなんて、ねえ。
で、そのひねくれが回答に出る。
全部とはいいませんが、その傾向も含んだ上でのあの数字じゃないかと。

見てきたようなこと書きましたが、さほど間違ってない自信あります。
あの酒鬼薔薇事件の犯人と同世代でして、
今思えば、あの時そんなこと考えてた記憶があるので。
あとやっぱり、彼らも動揺はしてると思うんです。今思えばね。

   * * *

いじめね。
自殺する子が弱いとか、いじめる子に懲罰をとか、
諸説入り乱れてますが。

結局、いじめる子が気づかない限り、ダメだと思うんですよ。

「昔は自殺なんてしなかった」て話をよく聞きます。
が、そんな話、丸呑みしなくていいと思う。
自殺するほどのいじめに遭ってない、幸せで鈍感な大人の説です。

いじめに遭う遭わない、死ぬ死なないなんて、結局は運じゃないかと。

私の場合、小学校で転校して以来、まあ随分からかわれました。
今思えばいじめかもしれない。
悪口のいじめです。
靴隠されたりタカられたり殴られたりはなかった。
でもやっぱり嫌なもんです。

いじめる子は何人もいました。でも友達も何人もいました。
悪口言われるのは嫌で嫌で仕方なかったし思い出すだに悔しい。
けどトータルでみれば学校は好きでした。
5年生6年生の頃は今思い返しても楽しい。

意外にきつかったのが中学の頃で。
仲悪かった連中が軒並み市立中学に行ったので、
これ幸いと国立中学に行きました。
でも嫌なヤツはいまして。

いえ、始めは仲良かったんです。バカ仲間でした。
それがエスカレートしたんだか、
中2の夏ごろに、小学校の時と同じパターンになりまして。
親には言いました。が、多分私が思ってるほど深刻に考えてはくれなかった模様。

結局、その年の冬、ガマンが切れて学校から消えました。

こっそり荷物を廊下に出しておいて、
昼食の準備時間に何気なく廊下に出るふりして荷物もって脱走。
あの時間帯はほとんど廊下は無人でしたので、
誰に見とがめられることもなく。

昼食の時間にいないってんで、発覚は早かったようです。
後で聞いた話によると、校内放送でも呼ばれたらしく。
先生たちがロッカーと下駄箱見て、私がいないのを確認して
それで初めて、ちょっとした騒ぎになった模様で。

その間何をしていたかというと、家に帰ってました。
いえ、過去進行形で。
家まで普通に歩けば一時間ですが、結局二時間かかりました。

校舎出てから校外の最初の角を曲がるまで500mぐらい、
追っかけられて連れ戻される気がして走りっぱなしでした。
元も子もないんですよ。こっちは一世一代のつもりで飛び出したのに。

で、何をしようか、っていう選択肢は2種類ありました。
近所の山(田舎なので)に登るか、
いつもの通り、当時文通してた友達の家に
手紙(遺書じゃなくて普通の手紙)届けに行くか。
家に帰ることは考えませんでした。というか、頭に上らなかった。

なんで山か。
だいぶ普段と違うことをしたので、脳がいかれてたらしいです。
で、死ぬことは考えなかったものの、多分捨て鉢になって、山。
今思えば、死を選ぶのと紙一重の心情だった気がします。

結局、冬だから山は止めにして、友達の家に手紙を届けることを選択。
少し通学路からはそれるものの、充分射程距離です。

にしても、普段歩いてる道が、馬鹿に明るい。
普通の人が家や学校にいるせいで、人もいない。
学校おん出た緊張感ともあいまって、だいぶ孤独な心持ちでした。
途中の公園で弁当(給食のない学校でした)食べたのですが、
一口ごとにそれが冷えていくあの空虚さは今も言葉にできない。

そのあと友達の家の郵便受けに手紙を入れたんですが、
その動きで、やっと普通の感覚が戻ってきました。
あのささやかな安堵感はよく覚えてます。

そのあと国道沿い(いつもの通学路)に戻って、
そこから住宅地への道までに5つある歩道橋を全部渡りました。
くどいですが死のうと思ってたわけじゃないです。
見晴らしのいいところにいきたかった。

学校出てからずっと、最終的には家に帰ろうと思ってました。
(幸いなことに)私にとって、家は逃げ場所として機能してました。
でも、いざ戻ってみると、自分の家なのに呼び鈴鳴らすのがためらわれて仕方ない。
結局、ボタン押すのにしばらくかかりました。

で、帰宅。

結論から言うと、家はやっぱり逃げ場所として機能してました。
幸運なことに。

もうすでに学校から連絡があったらしく、
すれ違いにはなったものの担任の先生も来ていたようです。
その夜、担任の先生と学年主任の先生がもう一度来て
事態の再確認になりました。

話によると、いままで私をからかっていた生徒(3人)が
私の消滅後、担任の先生に名乗り出てくれた模様で。

彼らからは「自分たちが悪かった」旨。
先生からは「気づかなくて申し訳なかった」旨。

それっきりいじめは止まりました。
翌日、彼らが自分から直接謝ってくれたので、
私としてはもうそれで充分でした。

卒業まで、またバカ仲間にもどりました
(無論、彼らの中には憚るものは残ったでしょうが)。
そもそも悪い連中じゃなかった。
卒業以来会ってませんが、今でもいい奴らだと思ってます。

長い思い出話になりましたが、結論としては
同じようにいじめに会った人の中では、多分、私は幸運でした。

死ぬか死なないかは、運だと思うんです。
私の場合、ピークはあの学校脱走の日でしたが、
今思えばあの日、普通じゃない心理状態で、
学校とび出すだの山に登るだの、スレスレの選択をいくつもしていました。
それでも死ななかったのは、
手紙を出すという行動で多少我に帰ったとか、
家が家として機能していたとか、
さらに幸いだったのは、いじめていた人たちが気づいてくれたとか、
そんな幸運が、選択のたびに選択肢の片側に出ていたからで。

死んだ人たち、死につつある人たちは、そんな運を与えられていない。
限界があるんです、自力でできることには。
周りが気づかないかぎりは。

私はたまたま、いろいろな選択をすり抜けてここに生きていますが、
あの時、どれかを一歩ズレてたら、多分この世にはいないんでしょう。

いや、しんどいんですよいじめって。傍から見てたら判んないけど。
いじめられている人に「あなたにもすばらしいところがある」という人へ。
褒めるより先に助けていただきたい。
「いつか幸せになるんだから死なないで」という人へ。
今幸せになりたいんです。いつかの事なんてどうでもいいから。

   * * *

だけど何より引っかかるのは、
自分もやってたかもなあって事だったり。
からかわれてた時の方が圧倒的に多いと思うんですが、
やっぱりからかってたこともある。
継続的に特定の誰かに何かした記憶こそありませんが、
私の一言で傷ついた人もきっといるでしょう。

やったはずなのに覚えがないってのが一番こたえる。
PR
 >>日常  tb:  ×

prev  home  next
ブログ内検索

最新コメント

[01/24 しまうー]
[07/17 ハナガラスイハンキ]
[06/05 OMFire]
[05/03 梓蔵]
[12/29 RADIX]
忍者ブログ [PR]
  (design by 夜井)