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(
2008/01/20)
幼児
Web拍手のお礼絵なんですが、えらい時間かかってしまった。
というわけでプルートとシャークマンです。
挑戦ポイントは幼児。力の限り幼児顔にこだわってみた。
毎度中途半端な年齢になってしまうんですが、
今度ばかりはそれなりになったと思います。どう? どう?
でも塗りはちょっとキラキラさせすぎてしまった。
Web拍手で確認してやってください。誘導の意図はないです。ホントだってば。
あと、そろそろペン入れへの抵抗感をなくしたいところ。
で、中身。
Web拍手に置いたほうはそれっぽい会話してるんですが、
それとは別に、子供って絶対子供にしか分かんない会話してるときがあると思う。
世の常識を知ってしまった大人にはもう理解できない感性と言いますか。
いや、実質はシャークよりプルートの方が1000歳ぐらい年上なんですが。
でも2人とも、外見も精神も5歳ぐらいでいいと思うよ。
プルートは母星にいたときから、同僚含めて周りはみんな大人ばっかりで
子供型のロボットなんて自分ひとり(人間様とは遊んじゃいけない)。
シャークはシャークで観測所の周囲は森ばっかり、
一番近いお隣さんが20km向こう、みたいな環境だったので
やっぱり兄弟以外の子供が近くにいない(ついでに末っ子という脳内設定)。
なもんだから、ワイリー基地に来て初めて同い年の仲間ができた感じ。
あとはクロックメンなんかがやっぱり同じくらい。
プルートは天真爛漫であまり特定の人と深く付き合わなかったし、
シャークは人見知りな上に内弁慶気味でやっぱりヨソを知らない。
というわけで、こいつらがワイリー基地で他の子とわいわいやってるのを見て
保護者格のサターンやダイナマンは安堵してるといいのです。
基本ロリでもショタでもどっちでもいいよお前ら!
というかネコがロリで、シャーキィと仲良くなっちゃってるもんだから
マーキュリーがじっとりと落ち込んでる、という構図もまったくOK。
こいつらみんなひっくるめて、ワイリー基地はロボットパラダイス、と言うか
ある種の聖域なんじゃないかと思います。
居住資格は「ロボットであること」、それだけ。
特に何の能力もなくていい、来てから考えればいい。
と言うより、ロボが他の何者でもなく「ロボ」でいられる場所。
ロボは本来、特定の役割を期待されて造られるものなので
ついついその役割ができるかできないかだけで判断されちゃうのですが、
ワイリー基地においては、ロボ一人一人が「○○担当」であり、兄弟であり、
息子であり、友人であり、喧嘩相手であり、生徒であり、先生であり、
その他もろもろ、「人間」並みにたくさんの顔を持ってる。
そういう「一個人」として認めてもらえるわけです。
だから構造わかんない宇宙ロボもいる、ガラクタみたいなロボもいる、
子供ロボットも平気でちょろちょろしてる、というわけ。
ただ、外の人間社会においては、やっぱりそういうわけにはいかない。
無論ロボットは随分浸透してるし、人々はロボットを愛しているけど
人々はどうしても「ロボット=道具」という価値観から離れられない。
差別をやめよう、偏見をなくそう、という啓発活動もあるし
それに賛同する人は統計取ったら随分高い割合に上るんだけれど
そんな運動があること自体、やっぱり偏見の裏返しなわけで。
さらに「人間とロボットは違うんだから、全部同じなんて無理」と言う意見もあり、
それはそれで確かに正しいものだから、また悩ましい。
つまり、人間とロボットの関係性について、人間側もとまどっている段階。
そしてそんな中、社会で活躍するロボット(ライト、コサックロボ)がいる一方、
野良ロボット(ディメンションズ)なんて問題も出てくる。
そして、そんな人間の戸惑いというか無意識的な差別に対して
身体張ってアンチテーゼを唱えてるのがワイリー。
ロボット使って世界征服ゥ、なんて言っちゃって
国際犯罪者扱いもされてるんだけれど、
その一方でロボットをカーレースに出したりサッカーやらせたり、
XやZEROやZXの世界観じゃ考えられないような友好的な戦い方もする。
そしてそれが割と世の中に受け入れられてる(試合として成り立ってる)
ところを見ると、ワイリーって結構、社会から愛されてるんじゃないか。
ロックマンとの勝負も、実はライトVSワイリーという2巨頭の技術のエキシビジョンで、
お互い全力を尽くすけど決して殺さないスポーツマンシップに乗っ取ってる。
で、それを見るのを楽しみにしている人たちが結構いる、とか。
そして、その「試合」を通して自分のロボットたちやロックマンの
人(?)となりを見せることで、ロボットにも心はあるんだと訴えることが
ワイリー(と、実は一枚噛んでるライト)の一番の目的。
そうやって、人々が忘れかけた頃にあらためて人間とロボットの関係を問いかける
なまはげのような役割をしてるんじゃないだろうか、ワイリー。
人間ども、思いあがったらいかんぞーみたいな。
で、それを見て人間たちももう一回、身近なロボットたちについて考えるんだ。
だから、ワイリー事件が起こる期間は実質「ロボット週間」。
ライト博士は人間の立場からロボットの発展に尽くし、
ワイリーはロボットの立場から同じことをしようとした。
だから、お互い手段は違っても最終目的(ロボットへの愛)は実は同じで、
そこが、2人が「相容れない」と思いながらも今もって相手を認めてる理由。
ワイリーが反乱を起こしたとき、ライト博士も阿吽の呼吸で
その真意を理解しているといい。
ただ立場上、表立ってワイリーに賛成するわけにはいかないし、
やっぱり「力」で物事の解決はしたくない。それが単なるパフォーマンスでも。
ライト博士は、人間にとっては偉大な科学者で、
ロボットにとってはお父さんみたいな感じ。
ワイリーは人間にとってお騒がせ爺さんであり、近所の雷親父で、
ロボットにとってはヒーローなんだ。
要するに、人間とロボットの関係が一番友好的で、一番悩み多くて
一番雑駁で自由闊達だったのが、初代ロックマンの世界だったんじゃないかと。
その後、何か不幸な事件があって、ロボットと人間の関係が
一気に「相互不信」を前提に固定化されちゃったのがX以降。
いや、長くなりました。
私はもともとXシリーズから入った人間でして、
Xだとどう頑張ってもボスは全員死亡フラグ立ってるので
初代ロックマンの世界だけは平和であってほしいなと思うわけなのです。
というわけでプルートとシャークマンです。
挑戦ポイントは幼児。力の限り幼児顔にこだわってみた。
毎度中途半端な年齢になってしまうんですが、
今度ばかりはそれなりになったと思います。どう? どう?
でも塗りはちょっとキラキラさせすぎてしまった。
Web拍手で確認してやってください。誘導の意図はないです。ホントだってば。
あと、そろそろペン入れへの抵抗感をなくしたいところ。
で、中身。
Web拍手に置いたほうはそれっぽい会話してるんですが、
それとは別に、子供って絶対子供にしか分かんない会話してるときがあると思う。
世の常識を知ってしまった大人にはもう理解できない感性と言いますか。
いや、実質はシャークよりプルートの方が1000歳ぐらい年上なんですが。
でも2人とも、外見も精神も5歳ぐらいでいいと思うよ。
プルートは母星にいたときから、同僚含めて周りはみんな大人ばっかりで
子供型のロボットなんて自分ひとり(人間様とは遊んじゃいけない)。
シャークはシャークで観測所の周囲は森ばっかり、
一番近いお隣さんが20km向こう、みたいな環境だったので
やっぱり兄弟以外の子供が近くにいない(ついでに末っ子という脳内設定)。
なもんだから、ワイリー基地に来て初めて同い年の仲間ができた感じ。
あとはクロックメンなんかがやっぱり同じくらい。
プルートは天真爛漫であまり特定の人と深く付き合わなかったし、
シャークは人見知りな上に内弁慶気味でやっぱりヨソを知らない。
というわけで、こいつらがワイリー基地で他の子とわいわいやってるのを見て
保護者格のサターンやダイナマンは安堵してるといいのです。
基本ロリでもショタでもどっちでもいいよお前ら!
というかネコがロリで、シャーキィと仲良くなっちゃってるもんだから
マーキュリーがじっとりと落ち込んでる、という構図もまったくOK。
こいつらみんなひっくるめて、ワイリー基地はロボットパラダイス、と言うか
ある種の聖域なんじゃないかと思います。
居住資格は「ロボットであること」、それだけ。
特に何の能力もなくていい、来てから考えればいい。
と言うより、ロボが他の何者でもなく「ロボ」でいられる場所。
ロボは本来、特定の役割を期待されて造られるものなので
ついついその役割ができるかできないかだけで判断されちゃうのですが、
ワイリー基地においては、ロボ一人一人が「○○担当」であり、兄弟であり、
息子であり、友人であり、喧嘩相手であり、生徒であり、先生であり、
その他もろもろ、「人間」並みにたくさんの顔を持ってる。
そういう「一個人」として認めてもらえるわけです。
だから構造わかんない宇宙ロボもいる、ガラクタみたいなロボもいる、
子供ロボットも平気でちょろちょろしてる、というわけ。
ただ、外の人間社会においては、やっぱりそういうわけにはいかない。
無論ロボットは随分浸透してるし、人々はロボットを愛しているけど
人々はどうしても「ロボット=道具」という価値観から離れられない。
差別をやめよう、偏見をなくそう、という啓発活動もあるし
それに賛同する人は統計取ったら随分高い割合に上るんだけれど
そんな運動があること自体、やっぱり偏見の裏返しなわけで。
さらに「人間とロボットは違うんだから、全部同じなんて無理」と言う意見もあり、
それはそれで確かに正しいものだから、また悩ましい。
つまり、人間とロボットの関係性について、人間側もとまどっている段階。
そしてそんな中、社会で活躍するロボット(ライト、コサックロボ)がいる一方、
野良ロボット(ディメンションズ)なんて問題も出てくる。
そして、そんな人間の戸惑いというか無意識的な差別に対して
身体張ってアンチテーゼを唱えてるのがワイリー。
ロボット使って世界征服ゥ、なんて言っちゃって
国際犯罪者扱いもされてるんだけれど、
その一方でロボットをカーレースに出したりサッカーやらせたり、
XやZEROやZXの世界観じゃ考えられないような友好的な戦い方もする。
そしてそれが割と世の中に受け入れられてる(試合として成り立ってる)
ところを見ると、ワイリーって結構、社会から愛されてるんじゃないか。
ロックマンとの勝負も、実はライトVSワイリーという2巨頭の技術のエキシビジョンで、
お互い全力を尽くすけど決して殺さないスポーツマンシップに乗っ取ってる。
で、それを見るのを楽しみにしている人たちが結構いる、とか。
そして、その「試合」を通して自分のロボットたちやロックマンの
人(?)となりを見せることで、ロボットにも心はあるんだと訴えることが
ワイリー(と、実は一枚噛んでるライト)の一番の目的。
そうやって、人々が忘れかけた頃にあらためて人間とロボットの関係を問いかける
なまはげのような役割をしてるんじゃないだろうか、ワイリー。
人間ども、思いあがったらいかんぞーみたいな。
で、それを見て人間たちももう一回、身近なロボットたちについて考えるんだ。
だから、ワイリー事件が起こる期間は実質「ロボット週間」。
ライト博士は人間の立場からロボットの発展に尽くし、
ワイリーはロボットの立場から同じことをしようとした。
だから、お互い手段は違っても最終目的(ロボットへの愛)は実は同じで、
そこが、2人が「相容れない」と思いながらも今もって相手を認めてる理由。
ワイリーが反乱を起こしたとき、ライト博士も阿吽の呼吸で
その真意を理解しているといい。
ただ立場上、表立ってワイリーに賛成するわけにはいかないし、
やっぱり「力」で物事の解決はしたくない。それが単なるパフォーマンスでも。
ライト博士は、人間にとっては偉大な科学者で、
ロボットにとってはお父さんみたいな感じ。
ワイリーは人間にとってお騒がせ爺さんであり、近所の雷親父で、
ロボットにとってはヒーローなんだ。
要するに、人間とロボットの関係が一番友好的で、一番悩み多くて
一番雑駁で自由闊達だったのが、初代ロックマンの世界だったんじゃないかと。
その後、何か不幸な事件があって、ロボットと人間の関係が
一気に「相互不信」を前提に固定化されちゃったのがX以降。
いや、長くなりました。
私はもともとXシリーズから入った人間でして、
Xだとどう頑張ってもボスは全員死亡フラグ立ってるので
初代ロックマンの世界だけは平和であってほしいなと思うわけなのです。
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