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アサドリの日記帳です。主にロックマンと日常。
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自紙コラムを元にした読売新聞の広告が
通勤途中の駅に掲示されてるのですが、
以前、こんな内容のがありました。
ひとの心を傷つけて
喜ぶ心さびしき者に
聞く耳はなかろうから、
中傷された君に言う。
蠅たちの集まりでは、
蝶も「キモイ」と
陰口をたたかれるだろう。
心ない者たちのうちにも
自分と同じ美しさを探しつつ、
君はひとり、
大人になればいい。

(2008年4月17日 読売新聞「編集手帳」)

むろん正しいです。美しいです。正論です。
が、どうしようもない違和感がありました。
しばらく考えてようやく思い至ったわけです。

なぜ、いじめられている子が「ひとり、大人」であらねばいけないのか。
彼(女)は、ほかの子と同じように子供のままであってはいけないのか。

もちろん、自分を不当にいじめる相手と同じ土俵に降りる必要はありません。
でもなぜ、たった「ひとり」で、耐えねばならないのか?

孤高と孤立無援は違います。
本人が望んで一人を選ぶならそれもいいでしょう。
けれど、救いのない状態に追いやって、置いておくのは周囲の罪です。

このコラムを書いた方にいじめを助長する意図がないのは明らかです。
が、それならせめてもう一歩突っ込んでほしかった。
「負けるな、我々も決して君をひとりにはしない」と、
そこまで書いてほしかったのです。


というようなことを完全に後出しじゃんけんの今、書いておきます。
2008年の段階で書いていたら、何かがちょっとは違っていたろうか。
少なくとも書かないことで、私はあの問題に加担したことになります。
人が死んでからでは遅いのです。
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